口の中で踊り舞う麺|高砂食品 青森ネバリゴシ麺 咖喱うどん

昨年食べた 青森ネバリゴシ麺の焼うどん の、カレーうどん版を見かけたので買ってみた。あのモチモチの麺をカレースープに浸したとあれば、一定の期待値は越えてくるだろうと踏んだのだ。ただひとつ懸念は、僕が関西人であることだ。関西人が慣れ親しんだカレーうどんの麺は、ふにゃふにゃのコシ抜けであると相場が決まっている。

豚肉、玉葱、厚揚げ、ぶなしめじ。スーパーの生鮮コーナーで目に留まった具材を買い込んで、意気揚々と、慣れぬ台所にて下拵えをする。妻のように上手くは出来なかろうが、構わない。要はひと口サイズに千切れば良かろうなのだ。深めの片手鍋にそれらを放り込んで炒める。豚肉の端が焦げてきたら、うどんと付属のカレー粉、ケトルで沸かした熱湯を投下する。順番は不問だ。そして菜箸で麺をほぐしながら粉を溶かしつつ、しばらく煮込んでいく。煮込み時間は体感だ。

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かくして1袋2人前と言いながら、明らかにそれ以上に大量のカレーうどんが出来上がった。普通の鉢には収まらず、おでんや煮物を盛り付ける大玉の器に注ぎ込んだ。恐らく煮込み過ぎたためであろう、大蛇の如く膨らんだ麺の、湖面から暴れ出る様は圧巻の一言。もはやネッシーたる怪獣の如し。「こいつを独りで喰えと言うのか…、おもしろい!」空腹が増幅させた食欲に、身も心もすっかり侵されたこの時の僕は、自業自得という言葉をまるで見失っていたのだ。

予想外に淡白なカレースープ。キレはあるが、どうにも出汁の旨味が足りていない。とろみももう一声欲しい。有り体に言えば、全体的にシャバい。ビールに例えるなら、プレミアムモルツを期待して飲んだらスーパードライだった、といった感じだ。啜れども啜れども幸せを感じない、じっと見るスープはただ、温かく、塩気があり、カレー風味がする湯。七味唐辛子をざぶざぶ振り掛けて辛さを増進させ、ひとまずの着地点としたが、いま思えば出汁の素も同じく振り掛けて溶かせば良かったかも知れない。

茹でられた末にふやけて柔らかくなった玉葱やしめじに比べ、青森ネバリゴシ麺のコシは力強く顕在し、 “活彩あおもり” を見事に体現している。青い森のメッセージだ。歯を押し返し、口腔内を舞い、躍動するうどん。その楽しげに跳ねるゴムの如き麺こそが、箸を持つ僕の右手を操り、次から次へと啜りたいそんな気持ちにさせる。なるほどこれが太陽の神ニカの能力か。

やかて無事に2人前を平らげた僕の胃袋は、今にも破裂せんばかりに張りつめ、声無き悲鳴を上げていた。「認めたくないものだな…」崩れ落ちるように椅子を降りたあとは、そのまま静かに横になるより仕方がなかった。床暖房の幸福。もう1センチたりとも動けない。立ち上がり、まして歩くなど以ての外。1時間位はこうしていようと決め、手を伸ばしてテレビのリモコンを取った。

ところでやはり僕の潜在的な意識は、ことカレーうどんにおいてはコシの強さや弾力よりも、グズグズになるほど煮込んだ、柔らかな麺をこそ求めているらしい。しかし例え倍の時間をかけて煮込んだとしても、このネバリゴシ麺の強靭さが解けるとも思えない。まったく、讃岐と言い津軽と言い、コシを第一と追い求める連中は、もっとカレーうどんに合う、歯が無くたって食べられるフニャフニャ麺の良さをよく噛み締めるべきではなかろうか。いや、噛まなくて良いわけだが。

青森ネバリゴシ麺の焼うどんの記事はこちら

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