まずい餃子だろうとレベル99の勇者は真摯に向き合う|日本ハム 羽根付き餃子

調理方法はフライパンに餃子を並べて、隙間に「羽根の素」なる液を注いで焼くだけ。水なしフタなしでOKだそうです。ただし使用するフライパンは「フッ素樹脂加工」が指定されていて、そうでない場合は油をひく必要があるという。テフロン加工はフッ素樹脂加工に含まれるので大丈夫です。しかし果たして、手に取ったフライパンの焼き面がフッ素樹脂加工されているかどうか、誰しもが確信を持って分かるものでしょうか?「焦げ付きやすいフライパンは油をひいて」などと敢えて曖昧に指定するか、逆に油をひくことを前提にしてフッ素樹脂加工の場合は要りませんよと案内したほうが利口ではなかろうか。

ところで私には餃子の「羽根」に対して何ら思い入れがありませんが、こうして商品特性として取り沙汰されるということは、それなりの価値があることの証明でしょう。コウイカの外套膜のヒレにも似た「羽根」は、いわば釜炊きご飯のお焦げに相当する副産物と認識しておりますが、その作成を目的にした商品開発というのは「おいしい餃子の提供」という本質から、嗜好や娯楽の方角へ向いた「よそ見」のように思われて仕方がありません。「羽根の素」とやらを使って焦げを作る行為が、餃子そのものの美味しさに何ら影響しないためです。むしろ羽根の作成に失敗して、餃子の味に関係なく商品に対する反感を抱かせる危険因子に他なりません。「おいしい餃子を作る過程で羽根ができる」これが本来あるべき姿でありましょう。

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餡を包む皮は厚く弾力と伸びを有し、もっちりしていると言って良いが、ブヨブヨとも捉えられます。特に賛否を割りそうなのは、フライパンに接する面はカリッと焼けていつつ、それ以外の面は生焼け状態で歯に粘着するような食感の対比。やはり餃子の皮は薄皮であるか、蓋をして蒸気で蒸す工程を踏むべきなのかも知れません。なお個々の餃子は箸で容易に切り離すことができて便利です。それもこの皮の特性のようで、餃子が互いに貼り付いてしまうことがありません。

ひとつひとつの餃子は小振りで、私の場合はふたつずつ頬張ってちょうど良い。さほど餡が詰まっているわけでもなく、肉汁が溢れてくることもないため安心です。餡は野菜がメインであるようで、肉の味は控えめ。ただ、内容量以上に肉っ気を感じさせるような工夫と言うか、虚勢、まやかしは施されていて、それが却って気持ち悪い。潔く野菜の餃子とした方が好感が持てるというものですが、しかし製造・販売は日本ハムなのです。

餡は少し甘めの味付けで脂も感じないため、ご飯のおかずとするには心許なく、ビールのアテにしても塩気に乏しい。餃子を単体で食べるのに適していますが、満足感を増すためにタレをしっかり浸けた方が良い。しかしタレは商品に付属していないので、消費者が自分で用意することになります。例えば独り身の男がいて、滅多に使わぬ酸化した醤油や古くなったポン酢という「イマイチなタレ」に浸して得る中途半端な満足感は、他ならぬ素人の自己責任でありますが、そこで生じるイマイチな感想は理不尽にも商品の評価へ跳ね返ることがあります。不確実性を消費者に与えるほど、そのまま供給者にとってのリスクとなる良い例であると言えましょう。

商品のコンセプト、素材、味付け。
そのすべてがリスクを孕んだ商品でした。
それは消費者に委ねた「自在」の裏返しです。

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