きわだつ甘さから得た円環の理|小笠原製粉 キリマルラーメン しお味

おつとめ品のキリマルラーメン3連食。
最後のしお味を煮る。

塩タンメンのように感じた しょうゆ味
https://ouchi.fuji-gochi.com/?p=4114

素朴なスープに味噌を溶かした みそ味
https://ouchi.fuji-gochi.com/?p=4132

──なるほど。シンプルな塩味こそ、キリマルラーメンの真骨頂なのか?

そんな私の杜撰な予想は、スープに忍び、麺から滲む「甘さ」を考慮できていなかった。我が儘に度外視した甘さが呼び起こした感情は、果たして嬉しい驚きではなかった。

この時、形而上の見解すなわち「答え」は失われた。代わって生まれたのは価値ある無意味。決してこのラーメンが美味しくない訳ではない。私が求めた感動が、この黄と青の袋から生まれなかったというだけだ。つまり、簡単な話「なぜ私はこれを食べているのか?」を見失う段階に進んだのだ。それは己の甘さに対する絶望を昇華した果てに、新たな「答え」を獲得した「前進」に他ならない。これでいいのか、否、これこそがいいのだ。よし!今一度スーパーへ行こう!すべてのグルマンよ食道楽よ、その道楽の価値を革めよ。その旅に終点はない。手を変え品を変えた組み合わせ、原産と流通の諸芸、食材と添加物の取っ替え引っ替えに対して、一期一会と取り沙汰し、一喜一憂する未来にどんな意味が在るというのか。我々に未来など無い。ただ購入と消費を繰り返す円環の理、永遠回帰をこそ私は肯定し、愛そう。

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